2015/07/20

【日本の土木遺産】黒部峡谷鉄道(富山県) かわいいトロッコ電車、当時は「命の保証なし」

黒部峡谷鉄道は、北アルプス北部の立山連峰と後立山連峰の間を隔てる黒部川の峡谷に沿って、宇奈月~欅平(けやきだいら)間20.1㎞、標高差約375mを1時間20分かけて走る山岳鉄道である。(写真:筆者)

 もともと、黒部川の電源開発のために敷かれた工事専用の鉄道であり、日本国内では数少ない軌間762mmの特殊狭軌を使用しているが、自動列車停止装置(ATS)や列車無線装置を完備し、一般の地方鉄道として運行されている。
 黒部峡谷の断崖絶壁と急峻なV字谷に輝く清冽(せいれつ)な流れ、黒々とした深い森の豪壮な景観や川に沿って湧出する温泉などの観光資源に恵まれ、小さな客車で走るその姿は、トロッコ電車という愛称で親しまれ、年間100万人以上が利用する日本を代表する山岳観光ルートとなっている。ただし、この沿線は豪雪・雪崩が多発するため、例年11月30日から4月20日まで冬季運休となる全国でも極めて珍しい鉄道でもある。
 黒部川は勾配が急なため高低差が非常に大きく、冬季の大量の降雪による豊富な水量という水力発電に有利な条件を備えている。現在でこそ、「クロヨン」を始めとした水力発電で有名な河川であるが、断崖絶壁の続く環境と1年の半分は雪に閉ざされる悪条件から、容易に開発の手が下されなかった。
 黒部川の電源開発の歴史は、大正時代に黒部川の水力で発電を行い、その電力でアルミニウムの精錬を計画した化学者であり工学・薬学博士であった高峰譲吉(たかみねじょうきち)らによって始まる。譲吉は1917(大正6)年、東京大学土木工学科出身で逓信省技師であった山田胖(ゆたか)を引き抜き、現地調査に向かわせた。そして東洋アルミナム株式会社を設立し、後に宇奈月温泉として栄える地に電源開発の前進基地を建設し、三日市~宇奈月間18㎞(現在の富山地方鉄道線)を23(大正12)年に開通させた。
 現在の黒部峡谷鉄道となる宇奈月から上流のルートは、ダムや発電所建設のため、急峻な黒部川に沿って敷設しなければならず、岩壁が続く多くの黒部川支川を越さなければならなかった。そのため、路盤の崩壊や雪崩の影響を避けるため、路線は極力トンネルと切土で通過するように計画された。
 22(大正11)年、譲吉が急死したが、大阪に本社がある日本電力株式会社が、東洋アルミナムの経営権を引き継ぎ、発電事業計画は継続された。37(昭和12)年に欅平までの全線が開通した鉄道では、橋梁22カ所とトンネル42カ所の総延長が8808mにもなり、全線の3分の1以上に達する。また、最大勾配50パーミル、最小曲線半径は21.5mで直線区間は500mにも満たない。
 宇奈月から上流の路線が完成すると、中部山岳国立公園や宇奈月温泉の発展とともに観光客の注目を浴びるようになった。工事専用線であるため、ダム・水路・発電所などの工事資材や作業員の輸送とともに、便乗希望者である登山者や温泉利用者に対しては「命の保証はしません」と裏書された便乗証を発行して便宜を図った。
 戦後、観光客の増加と地元の要望により、53(昭和28)年から安全対策などの見直しを行い、旅客鉄道としての営業免許を取得し、関西電力黒部線として営業を開始した。71(昭和46)年には現在の黒部峡谷鉄道株式会社として独立し、現在に至っている。
 今は観光用との印象がある黒部峡谷鉄道だが、実際は、現在も発電所やダムの維持管理、砂防事業など、黒部の電源開発のライフラインとしての機能を持ち続けている。
(いであ 松田明浩)
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