2014/06/16

【東日本大震災】使命感を胸に秘めた組織間協力 陸上自衛隊幹部が語る

東日本大震災の初動対応における献身的な取り組みで社会的に評価を受けた自衛隊。しかし、“自衛隊より前へ”の精神で道路啓開に当たった地元建設企業や、仙台空港などの排水計画の立案に携わった防災エキスパートらがいたのは紛れもない事実だ。陸上自衛隊東北方面総監部の赤松雅文幕僚長兼仙台駐屯地司令(陸将補)および平栗浩一装備部長(1等陸佐)の証言を通して当時の状況を振り返るとともに、全国組織の重要性や今後の大規模災害時に生かすべき組織間の連携、役割分担などのあり方を探る。写真は、岩手県陸前高田市での道路啓開の様子。
【執筆者から:自衛隊と東北地方整備局、そして地元建設企業が、未曾有の困難の中、三位一体となって啓開作業にあたった。自衛隊の方々も建設産業界の役割をきちんと認識してくれていることを今回の取材で感じた】

■証言1 赤松氏 
赤松雅文幕僚長兼仙台駐屯地司令

 「われわれ陸上自衛隊と東北地方整備局との間で役割を分担しながら道路啓開作業に当たった。東北地方整備局と地元建設企業が南北の幹線道路から沿岸部への接近道路を確保する、いわゆる“くしの歯作戦”を実行した。一方、われわれは現地で部隊が効率的に救助・捜索できるように末端の道路を啓開した。幹線道路の啓開のおかげで、われわれも速やかに現地に入ることができた」

 今回の震災における最大の特徴は、津波による被害が甚大だったことだ。 一部地域では、津波が駆け上がった高さが40mを超えたところもあり、浸水面積は岩手・宮城・福島の3県だけで500km2m以上に上る。 この桁外れの大津波が家屋や樹木、車、土木構造物などをがれきとして内陸部に押し流した。 このがれきが道路に散乱し、救助・救援部隊の行く手を阻んだ。
 地元建設企業の本格的な震災対応は、これらがれきの撤去から始まった。いわゆる「道路啓開」と呼ばれる作業だ。道路啓開とは、緊急車両だけでも通れるように道路上のがれきを撤去し、簡易な段差修正などにより救援ルートを開けることであり、通常の災害対応にはないステップだ。
 国土交通省東北地方整備局の徳山日出男局長(当時、現道路局長)は発災当夜、津波による大きな被害が想定される沿岸部に進出するため、くしの歯型の救援ルートを確保する“くしの歯作戦”の実行を決定した。
 具体的には東北自動車道および国道4号から、沿岸部の45号と6号への東西ルートを確保するものだ。
 同作戦には、東北地方整備局と災害協定を結んでいた東北建設業協会連合会の会員企業が多数参加し、わずか4日間で15ルートを確保した。

被災直後の岩手県陸前高田市内
地元企業の幹部は「この道路の奥に助けを求めている人たちがいる。助かる命を助け、救援物資を届けなければならない」と、自衛隊や警察、消防の前に立って救援ルートを開いていった。
 徳山局長は、建設業界の人々を“戦友”と表現する。「自衛隊や救援医療チームより急ぐ仕事があることを世の中の人が認識してくれたのではないか。“くしの歯作戦”では、地元企業52チームを編成したが、半数以上は自主的に申し出てくれた。業界の皆さんは、いざという時の使命感を胸に秘めている」
 大津波警報が続く中、地元建設企業は命がけで道路啓開に取り組んだ。なぜなら、この道路の先に誰が住んでいるのかを知っていたからだ。まさに地域に生きる建設企業ならではの使命感あふれる行動だった。

■証言2 赤松氏
 
「行方不明者の捜索活動を進める上で、水の排水が大きな問題となった。1mぐらいの水位があったところはボートで移動しながら、浅いところで飛び降りて胴長を履いた隊員が捜索を行ったが、効率が悪かった。水を抜きたかったが、われわれは排水能力のある車両を多く持っていなかった。そうした中、東北地方整備局がポンプ車を持っていると聞き、シェアしてもらった」

 巨大津波は河川や海岸堤防を破壊したほか、排水機場も損壊、水路はがれきによって閉塞して排水が困難になった。また、地震による地殻変動により、仙台平野の海岸および平地部を中心に広範な地盤沈下が起こり、大潮・大雨時には低い土地の浸水や冠水が発生した。
 東北地方整備局は震災直後、各自治体からの相談受付・整備局への伝達を行うリエゾン(情報連絡員)を地方整備局からの応援を得ながら派遣。津波による湛水が仙台空港などの重要なインフラ施設の復旧や行方不明者の捜索活動に大きな妨げとなっていたため、全国の整備局から排水ポンプ車を集結させて緊急排水を行った。

宮城県石巻市での排水作業
具体的には、国交省が全国に配備している排水ポンプ車約120台に加えて、24時間稼働させるための照明車、待機支援車など計234台の災害対策車を集結させた。
 人員は発災当日から現地調査に当たるTEC-FORCE(緊急災害対策派遣隊=テックフォース)が全国から東北に派遣された。隊員の延べ人数は約2800人に上った。ほかに排水ポンプ車を稼働させる協力業者のオペレーターも全国から集められた。
 「排水ポンプ車の設置場所を探せ」--。仙台空港周辺は広範囲に浸水したため、東北地方整備局は発災2日後の3月13日から排水作業を開始した。しかし、浸水域があまりにも広く、詳細な現地状況把握は困難だった。
 このため、同整備局は東北建設協会(現東北地域づくり協会)に地域を熟知した土木・機械専門の防災エキスパートおよび協会職員の派遣を要請。同協会はチーム編成を行い、測量および排水ポンプ車進入路・配置計画、緊急排水計画を策定するとともに、排水作業の現地支援を実施した。

仙台空港周辺地区の排水作業
自治体や土地改良区などの協力も得ながら、約1週間の緊急排水で水位を低下させた。これにより陸上自衛隊の行方不明者捜索活動が開始されたほか、水没していた仙台空港アクセス線の空港トンネル部についても3月28日から排水に着手し、4月2日に完了した。
 総排出量は約500万tで、25mプールに換算すると約1万4000杯分に相当する膨大なものだった。
 このほか、宮城県石巻市の釜谷地区や同東松島市の東名地区などでも緊急排水が実施された。

■証言3 平栗氏

平栗浩一装備部長
「震災前、われわれはほとんどの災害に自前で対応できると思っていた。しかし、今回の震災は津波被害という特殊性があった。機械でがれきを剥がさないと、人のいる場所が分からなかったため、自衛隊だけの機械力だけでは限界があると初めて感じた。今後、発生が予想される首都直下や南海トラフ地震などでも外部の協力が不可欠になる」

■証言4 赤松氏
 「今回の震災対応について、世論調査などで多くの人が『自衛隊が頑張った』と評価してくれたが、私自身はわれわれの力不足を強く感じた。もちろん、隊員は非常に良くやってくれたが、自治体からのさまざまな依頼に応えられず、できない理由を説明することが指揮官の仕事になってしまった。他の全国組織の力を借りなければ任務を遂行できなかった」

◇民間活力全国組織ノウハウ生かした支援展開


 平栗、赤松両氏が語るように、例え自衛隊といえども東日本大震災のような巨大災害への対応には限界がある。今回の震災では、全国の多様な機関・組織から多くの人材が駆け付け、支援活動を展開した。
 建設弘済会・協会(現地域づくり協会)もその一組織だ。大規模災害時に被災情報収集や災害復旧に対する助言などを無償で行う“防災エキスパート”を中心に、発災当日から3カ月後までの間に直轄および自治体支援に当たった人数は延べ2277人に上る。

建設弘済会・協会などによるリエゾン支援(宮城県東松島市)
具体的な活動内容は、▽TEC-FORCE支援▽リエゾン支援▽河川・道路災害復旧支援▽仙台地区排水処理対策▽津波痕跡調査▽漂着物調査▽下水道被害調査▽震災対応記録整理--など。
 このうち、TEC-FORCE支援では、被災地の地理や地形に詳しい防災エキスパートが、全国各地から参集した隊員を案内し、構造物などの復旧に向けた助言を行った。
 また、リエゾンについては岩手・宮城・福島県の23市町において、延べ889人がポンプ車による排水作業や情報収集、自治体との連絡調整、物資調達などの支援に取り組んだ。
 全国ネットワークを最大限に活用するとともに、長年の行政経験で得た知見やノウハウを生かした支援活動に対しては多方面から高く評価されている。

 ※リエゾン支援の写真は東北地域づくり協会、その他の被災地写真は東北地方整備局提供
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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