2014/05/17

【建設論評】「このくらいなら大丈夫」は悲劇しかもたらさない

近ごろ「このくらいなら、大丈夫だろう」「このくらいなら、ばれないだろう」、このような判断から大きな社会的な問題を生じたことがあった。
 試合中、掲示された差別的横断幕を撤去しなかった浦和レッズに対し、Jリーグは無観客試合の開催などの制裁を科した。浦和レッズは過去にも同様のトラブルにより制裁を受けていたが「このくらいなら、大丈夫だろう」との判断が甘かった。
 北海道旅客鉄道(JR北海道)の石勝線トンネル内特急炎上、函館本線大沼駅構内脱線など一連の鉄道事故では、現場担当者に「このくらいなら、ばれないだろう」、経営管理者に「このくらいなら、大丈夫だろう」との認識があったようだ。
 複数の超高級分譲と超高層集合住宅の施工不具合などでも、何らかの段階で同様の判断ミスがあったであろう。

 東京電力福島第一原子力発電所事故では、いまだに汚染水をめぐるトラブルが相次いでいるが、ここにも「このくらいなら…」の判断があった疑いがある。
 過去にも判断ミスによる偽装事件が多数あった。
 耐震偽装(2005年)や建材性能偽装(07年、サッシ・耐火材の性能)、食品偽装(01年、牛肉の産地・原材料、土産菓子の賞味期限)、食材表示偽装(07-13年、食材の産地・種)などが発生した。いずれも多くは「このくらいなら…」の判断から生じて、これが原因で社会から消えた組織もあった。
 このような判断ミスは、一度は間違いの事実を認識したにもかかわらず、対応と判断を誤ったことで発生している。一般的に組織には、間違いを見つける仕組みの用意はあるが、さまざまな要因で機能しないことがある。
 JR北海道では、職員構成で40歳代が極端に少なく、技術伝承やさまざまな場面で職員間の意思疎通が欠けていたという指摘があった。
 偽装の諸事件では、事柄を矮小(わいしょう)化しようと内輪の倫理を優先し社会的な信頼を忘れ失った。
 労働安全の分野では、現場で行うリスクアセスメントの危険性・有害性の評価で、安全という利益に関与の薄い要素と、外の管理要素(利益・工期・品質等)が大きく対立したとき、経営トップの明確な安全指針がなければ、安易に「このくらいなら、大丈夫だろう」との判断をしがちになる。その評価がいままでは運良く無事であっても、次には大きな間違いとなって現場と組織を襲い、働く仲間を傷つけ命を奪うことがある。
 何度も大きな社会的な問題や事故・災害を起こした組織は、内部に何らかの問題(欠陥)を抱えている。
 手立ては、まず事故・災害を隠さないこと。そして第三者による徹底的な原因究明と対策を行い、その結果を社会に公表することである。さらに経営トップは「このくらいなら、大丈夫だろう」「このくらいなら、ばれないだろう」を徹底排除し、自ら安全文化を育てる場づくりを醸し出すことが大切である。
(傘)
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)

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