2013/01/22

【五十嵐太郎の〝窓から建築を考える〟】「開口部から人の関係を描く諏訪監督」

東京大学で開催された「建築の際」シンポジウムにゲストとして出席し、映画監督の諏訪敦彦と話す機会を得た。諏訪は『M/OTHER』(1999年)のように、あらかじめ台詞を用意した脚本を使わず、その場で俳優に即興的に演じさせることで、結果的にフィクションとドキュメンタリーのあいだで宙吊りになったような作品をつくることで知られている。この作品でも住宅という舞台を強く意識し、映画の空間をめぐって青木淳と対談をしているが(『住宅論-12のダイアローグ』INAX出版、2000年)、建築の立場からとりわけ興味深いのは、窓やドアなどの開口部を通じて、人の関係を緻密に描いていることだ。


◇「開口部」イコール「空間」

 筆者が初めて見た彼の作品『不完全なふたり』(05年)は、建築家の夫と妻のあいまいな関係を題材としているが、説明的な言葉のやりとりに頼らない。まさに空間の映像によって語らせているのだ。映画では、ホテルの二間続きの部屋のあいだにあるドア、扉を挟んでそれぞれ屋外と屋内にいる二人、半開きのドア、出発間近の列車のドアなど、さまざまな状況を用意し、二つの空間を結ぶ開口部はそのまま人の関係に重ねあわせられる。
 忘れがたいホテルのシーンがある。夫の部屋から開いたドア越しに妻の部屋が映しだされたまま、口論が激しくなっていく。その途中、ランプが点いたり、消えたりによって空間の状態は刻々と変化する。やがて妻はドアを閉じ、沈黙が訪れる。そしておよそ2分30秒ものあいだ、画面には閉ざされたドアしか映らない。が、その向こうから夫を罵る声だけが聴こえる。場面は変わり、完全な個室となった暗闇の部屋。妻は謝りの言葉をつぶやく。「開口部=空間」のフレームにこだわることで、映画はこれだけ豊穣な言葉を語り得るのだ。

◇リバース・アングル

 諏訪の『H STORY』(00年)は、アラン・レネの『二十四時間の情事』(59年)を下敷きにした作品だが、シンポジウムで興味深いエピソードを聞くことができた。男女が広島の街をさまよった後、原爆ドーム内から外にいる二人のラスト・ショットが印象的である。
 最初は開口部の向こうに、男女が座っている。が、女は立ち上がり、歩きだす。カメラは彼女を追いかけるように、壁で見えないあいだも左に動き、次の開口部では去っていく彼女だけが映る。男の姿はない。ここでカメラは止まり、女は画面から消え、最後は川の向こうの風景だけが視界に入る。言葉はない。映像だけで二人の別れの朝が巧みに描かれている。
 監督によれば、本来は男女がドームの下に立ち、外から二人を映すシーンを撮る予定だったが、当日、聖なる場に人が立つのはまずいということになり、急きょNGが出て、リバース・アングル=逆からの視点に変えたという。が、これによって過去と現在をつなぐ映像が誕生した。画面では、手前の足元に過去の瓦礫、しかし、壁の開口の向こうに現在の普通の建物が同時に映り込む。それは実験的なリメイクとしての『H STORY』と『二十四時間の情事』の40年の隔たりでもある。結果的に撮影時の偶発的なトラブルがもたらした映像なのだが、それを必然として変えてしまうのが、監督の力量なのだと思う。
(東北大大学院教授・五十嵐太郎)
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)


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