2012/11/17

【建設論評】『黒部の太陽』に思う

今も電力を供給する黒部ダム
近年、木本正次著『黒部の太陽』の新装版が新潮社から発行され、全国各地で映画も上映されている。もともと同書はノンフィクション・シリーズ「日本人の記録」の一つとして、1964年5月27日から同年9月19日まで116回にわたって毎日新聞夕刊に連載され、この年の11月に単行本として同新聞社より刊行された記録小説である。その後、講談社や新潮社からも版を重ねて出版され、今日にいたっているロングセラーの一つである。

ダムに作られた鎮魂の碑
黒部峡谷は日本アルプスの最も奥深い所であり、黒四ダム建設は、数多いわが国の土木工事史の中でも、ひときわ壮大な土木工事である。7年余の歳月と、513億円という当時としては巨額の資金と、延べ990万人の労働力を投じ、このうち167人の尊い生命が捧げられたのであった。
 黒四ないし黒部ダムという言葉は、戦後の不況から脱した昭和30年代から40年代にかけての、日本の高度経済成長時代を象徴するキーワードにもなった。「黒四ダム」の正式名称が「黒部川第四発電所」であることからも分かるように、高さ186mと世界第4位を誇る巨大アーチ式ダムの建設は、新たな水力発電所新設を意味していたのである。そのころは朝鮮戦争後の好景気、いわゆる「神武景気」の中にあって、日本の高度経済成長の軌道に乗り出していた。当時のダム建設が慢性的な電力不足の解消に向け、電力供給の国策事業として国民生活の安定化という期待を担い計画されていたのである。
 だが、黒四ダム着工の56年から完成を迎えた63年までの7年間に社会状況が変わった。それは水力発電中心から火力発電中心への転換である。63年の火力発電電力量は975万㌔ワットで、ついに水力電力量の944万㌔ワットを超えた。日本の電源構成は「水主火従」から「火主水従」へと移行したのである。しかも黒部ダムの工事が始まる56年には、既に原子力委員会が発足し、原子力3法も施行されており、日本の経済成長を支えるエネルギーの供給は、原子力発電も加わって構造的に変化していったのである。
 それから今、2010年代の日本のエネルギー政策は新しい段階にさしかかっている。日本のエネルギー消費量は、節電努力にもかかわらず、年々増加傾向にある。一方、その供給量の増加対策は混迷している現状である。特に福島第一原子力発電所事故の発生以来、各原発周辺地域では大災害時の放射能汚染が懸念されている。そのため政府は、「2030年代初めに脱原発」を施策目標に掲げている。
 こうしたエネルギー政策をより推進するためにも、60年代以降、治水・かんがいを目的として建設されたダムに水力発電所を併設し、再生可能エネルギーの供給に寄与するよう、建設業界としての方策を提案していく必要があろう。
建設通信新聞(見本紙をお送りします!) 2012年11月12日12面

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